春を前に?お隣のお嬢さん編


ややうなだれている焦燥した姿にはさすがに張りもなく、
そんなせいか しおれた印象が強く出ていて、
華美な印象や溌剌とした魅力などは拾いようがなく。
我らの主人が街角で見初めたという女性はこのお人で間違いないのだろうかと、
手先らも途中で幾度も首を傾げたものだった。

 「さすがに自分の置かれた立場は判っているようだな。」

親の財力で何でも好きに出来た幼年期や少年期のまま、我を押さえることを知らずに青年となった若主人は、
自身の嗜好と欲求の赴くまま、欲しいものを手中にせねば収まらぬ気性をその身へはぐくみ、
宗家の跡取りたる自分にはそれが当然の権利だとさえ思っているようで。
籍を置く財界や社交の世界での頂点近くに居並ぶ名家であることや、
まだ親の世代が様々な場で幅を利かせており、
権勢や資金で誰をも黙らせる立場を保持していること。
息子の将来を窺わせるような、それは居丈高な現当主が政略結婚で妻とした夫人が、
夫に顧みられなかった鬱憤を一人息子への溺愛で埋めた弊害が見事に結集した結果だとかいうことも、
こうまでの無体な所業をはたらいた腐り切った狼藉者へは、わざわざ考慮してやる必要もない但し書きだろて。
随分と手馴れた手管で、間際に停まったボックスカーへ寄ってたかってという力づくで引きずり込まれ。
そのまま随分と格式高そうな邸宅の居並ぶ屋敷町まで車は走り、
どこぞかの公苑と呼べそうな敷地の中へするすると吸い込まれたそのまま邸宅の裏口まで達すると、
控えていた数人のやはり男たちにより、
略取された女性は地に足さえつかない扱い、担ぎ上げられてとある一室へ運ばれた。
所謂応接室か、二間続きなので来賓室かもしれないそこには
落ち着いた仕様の応接セットが据え置かれてあり、
高い天井近くまであろう広々した大窓が、豪奢なカーテンに縁どられて設置されて一応は明るい。
女性を連れてきた寡黙な黒服の男らが去ったのは、
そこには古風なメイド服を身につけた女性が2,3人控えていたからで、
彼女らへ次の役割を渡したということなのだろう。
この屋敷の使用人であるものか、そして、なればこその“慣れ”があるものか、
表情も薄く、作業仕事のように淡々と、連れ込まれた女性の身を検分し、
一応は失礼と前置きつつ、着ていた服や靴の汚れや乱れはないか、
袖や裾を上げさせ、あざや傷はないかを確かめると、
トレイに載せた紅茶と軽食をテーブルに置き、
粛々と頭を下げた上でお召し上がり下さいと言いおいて場を去った。
アフタヌーンティーなどで出されるような、美々しいケーキスタンドに盛られた
スコーンやケーキ、タルトやミニサンドなどは場合が場合でなければ女性が喜びそうな品揃えだったが、
突如掻っ攫われた身でまともに適応できるはずもなく。
呆然とでもしているものか、3人掛けのソファーにぽそりと腰を下ろして幾刻か。
静謐の中へ溶け込んでしまいそうな様相でいた彼女へ、
ややあってガチャリと音立てて開かれたドアから新たに入ってきた人物が、
冒頭の随分と尊大な物言いをする。
信じがたい話ながら、こうまでの至近で“逢う”のはこれがお初という身同士なので、
そんなことを言われるような立場や上下関係などあるはずはないのだが、
自身の物差しだけがまかり通ってきた世界しか知らない御曹司、
それは居丈高に言い放つと、ソファーのそばに歩みを進め、
腕を伸ばして女性の顔、顎下へ手を添え、力づくで仰向かせる。
背まで延ばされた髪は、乱暴にされたこともあってか顔にも掛かっており、それでようよう見えずにいたが、
明るい窓辺で暴かれた顔容は、浮かない表情を載せていても目にした者がハッとするような美貌ではあった。
大きめの双眸は黒味がかっていてうるみも強く、
今は呆然としているからか表情が薄いが、それでも凛とした口許の造作から知的な冴えを感じさせもする。
派手な華美さより、淑やかそうな風貌なれど、
それでいて芯の強そうな透徹さも感じさせるし、
そんな御尊顔のみならず、力なく腰かけている肢体も均整の取れた素晴らしいプロポーションであり。
ただ、先程あちこちを検分したメイドたちがやや目線を揺らがせたのは、

 「事故にでも遭ったのか? それで男からは敬遠されている身なんだろうな。」

街で見かけたこの女性、
それは美々しく、知的な表情と素晴らしい肢体をし、
笑顔も柔らかで洋装におけるセンスもあるというに、
いつも一人で街歩きを楽しんでおり。
観光なら友人と連れ立ってないか?
この街の住人なのだろうか。だとしてもいつも一人というのはどういうことか。
その身へつり合う女性の知己がいないのか。
ああ、きっとあまりに優れた女性ゆえ、嫉妬から寄り付く同性のいない身なのだろう。
それとも決まった婚約者でもいるものか。
それにしては通りかかった店へも一人ですいすいと入るし食事もしており、
そんな場で携帯端末をいじる様子もなく。
そういう形でさえ誰の連れも気配もなさすぎないか?
それの起因というものか、ようよう見やると腕やら首やらに結構厳重に包帯を巻きつけている。
何か怪我でも負ったのか、颯爽と歩いているから痛くはないらしいがそれでも…ということは
あまり人目には晒したくはない跡が残っているものか。
だとしたらば、そんな話を持ち出すなんてデリカシーがないにもほどがあるぞ坊ちゃんよと呆れるところ、
当の女性としてはさすがに我が事なせいか、

 「…っ。」

見て判るほどにひくりと肩を震わせる。
音がしそうな長いまつげを伏せ、サッと顔を伏せかかったのへ、
何をどう思ったやら、ほくそ笑みつつ顎に添えていた手に力込め、逃がすまいとしかかった御曹司くんだったが、

 「……っ、うわぁっ。」

不意打ちもいいところ、突然その手が腕ごと激痛に襲われ、
一ミリたりとも動かせない。
動かないのも不意打ちならば、咄嗟にびくりと反応した途端、ぎりりと締めあげられて痛みが走る。
何が起きたかもしれぬ事態、しかもあまり縁がないまま来た“痛い”という感触に
みっともないほどのお声をあげた彼だったが、そのまま何も起きないのも思えば初めての体感で。
ちょっとでも不快だったり痛いなんて思いをすれば、
傍付きの面々が飛び出してきて、庇うように守り、相手を引きはがさんという対処をとってくれてきた。
だのに、この空間にはただ静謐しか垂れ込めてはいない。
それがまた得も言われぬ不快や滅多にない恐怖心を生んでいる。
何が起きたかを知ろうと見下ろした自身の腕には、いつの間にかシャツの上から黒々とした布が巻き付いており、
そこへと畳みかけるように、

「身の程知らずが。」

脅しという色を含んでだろう、低められての冷ややかな声が真後ろから降りそそがれ。
まるでそのまま突き立つ怨呪のような禍々しい声だったものだから、
反射で振り返りかけつつ がなり返そうとしたものの、

「……っっ!」

風をまとった何かが飛んでくると、そのまま顔中へぐるんぐるんと勢いよく巻き付いた。
それはまるで即席のフルフェイスタイプのマスクを装着されたようなもの。
一応は布なのか、隙間をわざとに作ってあるものか、呼吸は何とか出来ているが、
突然のことゆえ随分と驚愕したらしき御曹司、

「な、なッ、何だ、何だこれはっ、誰かいるのかっ。助けろ!」

何も見えない状況下、呼吸もままとは言えず、
得体のしれない何かに襲われたということだけ理解したものか。
尊大だったほんの数刻前とは打って変わって、じたばたと慌てふためいての尻上がり、
何とも情けない声を上げるものだから、

「ぷ、くくくっっ。」

腕が外された令嬢がたまらず吹き出し、
アッハッハッハとやや豪快に笑う声が合図ででもあったかのように、
テラスだか庭だかへ向いていた大窓がきぃと軋んで開くと、そこからも何者かが入ってくる。
ミニスカート仕様のキュロットから伸びるすんなりとした御々脚の少女と、
シックなロングコートに3つぞろえ風のいでたちで決めた女性の二人ほどで。
ヒールの硬い音だろう複数の足音にかぶさって、呆れたような声音がして、

 「別段、こんな奴の親御の顔なんて立てる必要はねぇんだがな。」
 「みたいだね。
  選りにも選って数人がかりでも力技で来るよなみっともなさだし、
  何だそんな小物だったかって呆れちゃった。」

どちらも女性の甘やかなお声が、呆れたと言わんばかりの脱力気味にそんなやりとりを交わし始める。
片方は拉致されてきた女性だが、もう一方は御曹司にも覚えのない声で、
どう聞いても自分への侮蔑だろうと判るのだが、
いやに堂に入った声なのが、見えないという不安と相まって反駁や抵抗心を圧迫する。

 “何なんだよ、おい。”

今まで儘にならなんだことなどなかった身には、
間違いなく頼もしいはずの親御へまで言が及んでいるのがますますと信じられない。
顔を立てる云々言ってるということは、親が大立者だと知ってはいるのだろうにこの運び。
理解が追い付かなさすぎてのこと、声さえ出ない困惑が襲っているのだろう。
そして、ほんのひと手間で視界も自由も奪われたことが恐ろしく、
こうまで混乱している情けない坊ちゃんへ、
たった4人の女傑らが呆れ返っての苦笑を漏らしていることも知らないままだったりする。

 「……ぐっ。」

そのまま顔を覆っている布がきゅッと勢いよく締まり、
首元の静脈をしめた格好、あっさりと昏倒させられているから他愛ない。
先程の悲鳴に誰も駆けつけないのは、
そのすんで、坊ちゃんがこの部屋に入ったのと入れ替わりで、
こっそり護衛として太宰についていた3人が
テキパキとした手際も鮮やかに文字通り音もなくあっさりと伸していたからで。
もっと恐ろしくもおぞましい相手との対峙もこなす彼女ら、
たかが家付きの護衛や警備員レベルでは、歯ごたえがなさ過ぎて気も抜けるというところか。

 “何だかなぁ。”

観光都市という顔が表看板のヨコハマで、
ここ半年ほど、女性の行方不明事案が何件も報告されるようになった。
旅行中の女性がとか、一人暮らししている住民とかケースは様々で、
成人の失踪事件は 男女を問わずそうそうすぐには捜査も始まらぬ。
本人の意思での失踪かもしれないしと、緊急性がない限りは警察もなかなか腰を上げない。
ところが、消息を絶っていたはずの女性らが、奇妙な場所で次々と発見された。
秘密裏に高官や富豪が贔屓にしている高級娼館でだ。
薬漬けにされかけてという痛々しい状態で、何も判らぬまま客を取らされかかっていた女性が、
身を守らんという抵抗、遮二無二暴れて相手に怪我をさせ、
場所が場所だけに表沙汰にも出来ないと、
手当てと同時、彼女らの口封じだ何やらを依頼された某裏社会の組織が、
何で素人の女性らが…?と不自然極まりない関連を解いてみたくなったらしく。

 『実のところ、状況報告だけでほぼほぼ解明できてはいたのだろうにね。』

借金などなど事情あっての自発的な身売りにはやむなきとするが、
万が一幼女が拉致されてとかいった犯罪による惨事だけは許すまじとする首領様。
日頃からも目配りは徹底させており、
あらかたの流れは何となく察してもいたらしかったが、
表沙汰にするには確たる証拠が必要で。
どんな大御所の横やりが飛んできても
ぐうの音も出ないほどの確証をと依頼されたのが、これまた某探偵社。
鬼のような頭脳と裏社会への浅からぬ由縁がある存在が揃っているのだ、
持ちつ持たれつの間柄やら利害関係やら、
ついでに各所の監視カメラによる膨大な資料の中に埋もれていた
いわゆる“取っ掛かり”の映像やらを追跡するのもまたいともたやすく。
何より、その道の玄人なんかじゃアなかった連中だったので
拍子抜けするほどあっさりと、素性も割れたし、こうして本拠へ乗り込めもした次第。
何より、掻っ攫われた御当人からして、さっきから笑いが止まらない様子であり、

 「いっぱしの悪役?ヴィランぶってたらしいけど、
  実働はほぼほぼ手下任せだし、所詮は素人集団でただのチンピラよりお粗末なんだもの。
  詐欺まがいの誘い掛けとか搦め手とかも無しの無策すぎて、
  吹き出しそうになるのをこらえる方が大変でねぇ。」

本当はオトリ役は可憐な見かけによらない根性骨(タフネス)な敦ちゃんが請け負うはずだったのだが、
経験の足りない彼女では臨機応変が効くかなぁと何故だか太宰嬢が言い出して。
ウィンドウショッピングや街歩きをしてのおびき出し、
お買い物や食事は経費で落とせるよねと言質をとった上で、
今どきのあれこれを楽しめるお仕事だとでも解釈したか、
数日にわたって繁華街やら港町を独り歩きしまくった女史であり。
勿論のこと、探偵社の面々で見守っていたし、
ご本人がわざとらしく情報を漏らしたものか、
ポートマフィアの黒衣の鬼姫様までもがその監視に加わってたらしくって。
身の安全確保はこれ以上ないくらい万全だったし、

「まま、こんな腑抜けにどうにかされよう玉じゃねぇし?」

何で自分まで召喚されるかなぁと言いたいか、
ため息つきつつこぼしたのは、言わずもがなの重力魔女である中原嬢。
どんな乱暴を繰り出されようと異能でもって瞬殺出来よう腕を買われての起用だったが、
ご当人にすれば、相棒時代に嫌というほど太宰の本性を知っており。
桜や百合を思わせるよな楚々とした淑やかな風情を大きく裏切って、

「人間の体の構造は知り尽くしているから、
 指一本掴み締めるだけでひょいッとねじ伏せるコツとか熟知してやがるしな。」

ある意味でそれも体術を熟知しているということになるものか。
大して握力も腕力もないながら、俊敏な体捌きや勘の良さを生かし、
相手の立ちようのバランスやら動きの隙をついては、
この嫋やかさで軽々と巨漢を引き倒すのも造作ないというから恐ろしい。
そういうところを知っているものだから、中也としては何で護衛がいるものかという感覚だったし、
ましてやそんな彼女を崇拝してやまぬ、禍狗こと黒獣使いの芥川嬢も召喚されているのだ、
自分なぞ出る幕もなかろうにという方向で呆れていたのだが、

「…凄い人なのは知ってますけど。」

不意に、どこか震える語調の叱咤口調のお声が挟まる。
責めるような声音のそれは、中也や太宰にも意外なものだったようで、
え?と、不意を突かれたような気配を飛ばした先、大窓の傍らに立つもう一人の人物が放ったそれで。

 「強い人なのも場慣れしてるのも知ってますけど。
  それでも万が一ってことはあるんですよ?」

監視という格好、太宰嬢がこっそりとその身につけていた
極小マイクや細密撮影機で見聞きした状況があまりに乱暴だったせいだろう。
太々しいほどの女傑であると知ってはいても、
鮮明に届く状況のあれやこれやへハラハラしてしまったに違いなく。

「そうだぜ、過信はよくねぇ。」

こちらは、当人を案じてというよりも
そんな必要はなさげな存在を心配する小虎ちゃんが愛しくての援護だろう。
中也嬢までもが元相棒をたしなめる。
そんなお言いようの彼女もまた、
大人しい令嬢に扮しては似たような荒事を一体幾つ片づけているのやらな身の癖にと、
ちろりんと鋭い睨みを放りかかった太宰嬢だが、

 「…のすけちゃんを心配させてもいるんですよ?」
 「う…。」

元は教育係だった間柄。
それでなくとも貧民街でブイブイ言わせていた(?)異能持ちだった芥川嬢を、
これはと目をつけて引き抜きの、
異能力のみならず負けん気の強さも何もかも好みだったというに
そこのところは押し隠してスパルタに徹したひねくれん坊。
そんな師匠がとことん傷めつけて強くしたその上、
これ以上は放置した方が伸びるだろうと見越した仕打ちにまんまとはまって
ポトマで 一,二を争う成長株となった黒獣使いさんで。
最近、そりゃあ手ごわい巨悪との対峙にあたり、
煽る格好で助っ人に招聘したものの、ひょんな咬み合いで本心がばれたお蔭様。
(※この辺りは当サイト独特の展開と解釈です、念のため。笑)
今は素直に“かわいいねぇvvいい子いい子vv”しており。

 “今度は逆にその打って変わりようへどぎまぎもしてやがるがな。”

手玉にとられているのは変わらないよなと、中也がこっそり苦笑したのはしっかと余談。
今回のオトリ作戦でも、凛々しく構えつつもそれは落ち着きなくしていたんですよと、
どうかするとお説教ぽく抗議をする敦ちゃんなものだから、

 「う、うん。気を付けることにするよ。」

日頃は調子よく揚げ足とってる余裕もどこへやら、
翡翠の双眸に上目遣いで睨まれたそのまま、
ちょっと怯えたふりをしていた令嬢風に戻ってしまった太宰さんだったようで。
様々な勢力に狙われる魔都ヨコハマを陰ながら支えつつ、
ごちゃごちゃするのも相変わらずのお嬢さんたちであるようです。






     ~ Fine ~    25.03.29.


 *暖かくなったり、極寒だったり、何だか目まぐるしい二月三月で。
  あああ、芥川くんのBDだったのにぃという云々もあって、
  何か書きたいとだらだら書いてしまった代物です。
  一番オトリに向かない人だなぁと思いはしたんですが、
  前にもどっかのご令嬢役で書いたことあったなぁ。
  双黒オールで周りを固めたんで、
  そっちでも全然不安はなかったんですが。笑